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  • コフンねこ

【リアル体験記】北海道旅行をしたら地震に遭った【北海道胆振東部地震】

※この記事は旧ブログにて2018年9月11日に執筆したものです。僕にとっても皆さんにとっても今とは情報も考え方も価値観も違うものと思いますが、ご容赦ください。


本稿は筆者自身の実体験とその当時抱いた感情及び現在視点(2018年9月11日)での反省をもとに執筆されたものです。一部表現に北海道胆振東部地震をはじめとする災害の被災者に対して失礼な表現が見受けられるかもしれません。先んじてお詫びいたします。


また、今年の災害で命を落とされた方に深い哀悼の意を示すとともに、被災地の一日でも早い復興と被災者が一日でも早く元の生活に戻れるようお祈り申し上げます。



2018年のことを忘れられる人はいないだろう。


豪雪・豪雨・地震・台風……


常軌を逸する規模の災害が連続して発生した。


今もなお多くの人々がその爪痕に苦しんでいる。


僕も今年のことを決して忘れない。


自分語りで恐縮だが、昨年東北の田舎から大阪の大学に進学した僕は、


今年に入って

  • 四国での豪雪災害(1月)

  • 大阪北部地震(6月)

  • 西日本豪雨(7月)

  • 台風21号(9月)

  • 北海道胆振東部地震(9月)

自身に対する被害の軽重を問わなければ上記5つの災害に巻き込まれた(※2018年12月現在、さらに少し増えた)ことになる。


本稿では特に直近の北海道大地震において旅行者であった僕がいかにして被災者となったのかを書き残したい。


不幸自慢をしたいわけでも心配してほしいわけではなく、


これを読むあなたに、


「旅行先で大規模な災害にあったときどうすべきか」について


僕の体験や反省を踏まえて考えてほしいのだ。



2018年9月5日(水)

平成最強と言われた台風21号の襲来から一夜明け、僕は伊丹空港で北海道新千歳空港行きの飛行機の搭乗手続きをしていた。


伊丹空港の入り口。

台風により関西空港が水没・孤立していた関係で空の便に混乱が生じており、通行人は「普段よりだいぶ混んでいるね。」などと口々に言う。


僕は幸運なことにもともと伊丹発の便を予約していたので旅程に大きな変更はなく、快適な空の旅を楽しんだのであった。


でも、思えばこのときから少し様子がおかしかったのかもしれない。


台風21号は昨夜から未明にかけて北海道を通過しており、普段台風被害の少ない北海道にもダメージを与えていた。


現地で地元を同じくする現在茨城県水戸市在住の彼女と落ち合うも、新千歳空港と札幌の間を結ぶ快速エアポート号をはじめとする道内のJR各線で運転見合わせという情報が飛び込んでくる(伊丹離陸前に把握はしていたが)。


現金があまり財布になく、新千歳空港でお金をおろすことに(後々これが功を奏す)


仕方なくバスで札幌市内に向かうも、綺麗なはずの札幌大通公園は風に飛ばされた葉っぱや枝やモノが散乱しているという状態。



ただそれ以外には特段変化はなく、この日は


テレビ塔に





時計台に



旧道庁舎に




札幌の主要な観光スポットを難なく見て回ることができた。


夕食は海鮮居酒屋「はちきゅう別亭 おやじ」で北海道の海産物に舌鼓。





これでもかといくらが盛られた「ぶっこめし」。

名物の「ぶっこめし」もいただけて大変満足。


すすきのの満点の照明の下を潜り抜け、ホテルへと向かう。



これ以上ないくらい楽しく、「明日は旭山動物園に行こうね!」などと話しながら寝床についたのだった。



2018年9月6日(木)

とんでもないことが起こったのはその幸せな夜のことである。


ホテルの10階にいた僕は生まれて初めてしなるような揺れを経験することになる。


今年3月に亡くなったはずの祖母が夢に出てきて、なんとなく怖くなって目が覚めてしまい半覚醒状態で迎えた午前3時8分、


北海道胆振地方を震源とする地震が発生。


「北海道胆振東部地震」では札幌市内も大いに揺れた。


部屋内に上から落ちるようなものが何もなかったのは幸いだった。


この時点ではまだ電気が普通に使えた。


充電器につないだままにしておいたスマホで情報収集を開始、


するとしばらくして電源が非常用のものに切り替わったようだった。


コンセントやテレビは使用不能、明かりも簡易照明のみ。


窓の外は信号機を含め真っ暗。


それでもこの時点では明日の昼くらいまでには全部復旧するんじゃないか?と軽く考えていた。先の台風による関西の停電も、「夜には復旧した」という場合が少なくなかったからだ。



いつの間にか寝ていたようで、目が覚め再び情報収集を開始。


「停電は道内全域に及び、平成最悪の停電被害になっているらしい」


考えが甘かったことを悟る。


明かりの少ない中(洗面台の明かりは点かなかった)、なんとか身支度を終え朝食会場へ。


非常用エレベーター。

電気使えないのに朝食バイキングなんてやっているのか非常に疑問ではあったけれど、一応確認。


もしここを逃せばこの先しばらく食べられないかもしれないという考えが脳内によぎったためだ。


や っ て た。




しかも人気メニューの「いくらやサーモンやエビの刺身を好きなだけ載せられる海鮮丼」も用意されているという奇跡。(ネストホテル札幌大通さん、大変な中本当にありがとうございました。)


しかし二日目に予約していたのは別のホテル。


「まあとりあえず散歩がてら外に出ようか、」とチェックアウト。実はこれが今回最大の判断ミスだった。


情報を求め我々は札幌駅に向かう。信号がほぼ全滅、飲食店などサービス業を営む店舗はすべて張り紙で営業停止を通告。



札幌駅には中にも外にも人が集っていた。


「けがもないし、おいしい朝食も食べれたし、僕ら被災者ではないね。」


なんて話していたけれど、札幌駅に座り込む帰宅難民の方々を見て思ってしまった。


「僕らもここに座り込んだ瞬間、被災者になるのではないか?」



構内では駅員さん自らがテープに吹き込んだとみられる放送が何度もリピートされていた。



要約すると「少なくとも夕方まで道内全域で電車は動きませんよ」そして「新千歳空港には立ち入りできませんよ」。


少なくとも地震発生当日に本州方面へ帰還することは叶わなくなった。


まあ別にそれでもよかった。だってホテルを予約してある。家ではないが、帰る場所がある。ついでに飲み物も持っている。


気持ちに余裕があったのだ。


チェックイン可能時刻までかなり時間があったので観光を再開。北海道大学を目指すことに。


北大には多くの人が身を寄せていた。



食堂や生協ショップがあるものだけでなんとか営業していたこと、高い建物があまりなく避難場所として適していること、そして電気が通ってなくてもかろうじて見学可能な観光スポットであること、がその理由だろう。


僕らはなぜ行ったかというと、トイレを使いたかったからであった。


トイレは死活問題だ。


停電に加え断水している地域も多く、また多くのお店が営業休止中。午前の時点では札幌駅のトイレすら使えなかった。


汚い話ではあるが、電気の重要性を痛感したのは北大のトイレでウォシュレットが使えなかった瞬間である。



北大を出て以降、僕らはあてもなく歩いた。


ホテルの周辺に落ち着ける場所はないか?とホテルを目指したり、それでも気持ちが落ち着かなくて再び札幌駅方向を目指したり。


途中歩いている地域に電気が通った。疲れ切った人々から小さく歓喜の声が漏れる。


灯った瞬間信号機に従い始める国民性に感心。


そんななか、営業中のスーパーを見つけた。


お菓子はまだ大量に残っていたので購入しようと思っていた矢先、「味や品質の保証はできない」としつつもその日仕入れたおにぎりや弁当の販売を開始したそのスーパー。


まだそこは停電中だった。


人々が我先にと群がる中、なんとかおにぎりを4個手に入れる。


お弁当やおにぎりの入っていたケースを投げ捨て次のケースを開け続ける国民性には正直辟易した。


なにはともあれ昼および今夜の最低限の食料を手に入れられたのは大きい。あとはホテルに入るだけ。



最後の情報収集と思い札幌駅へ向かった午後三時ごろ、一本の電話を受け取る。


今夜泊まる予定のホテルからだった。


「今日宿泊予定の○○さまでいらっしゃいますか?」


「はい。」


「まことに申し訳ございませんが、本日停電と断水で営業できる状態ではなく……」


めのまえがまっくらになった。


ホテルがあると思っていたから頑張ってこれたのに。


ホテルがあると思っていたからこんなに歩けたのに。


普段、「今日は泊まれません!」などと言われたら怒っていただろうが、今は未曽有の災害の渦中。


助け合わなければならない。それよりも、怒るにも慰めるにもそんな気力湧かない。


営業停止に追い込まれるなんて検討すらしなかった。朝の時点で泣いてすがっていれば、最初のホテルに連泊できたかもしれなかったのに。


最大の失敗。


なんとか宿を見つけたい。


札幌駅前のモニュメントの台座に座り、何件も何件も電話をかけた。


予算に見合わぬ高級ホテル。


恥を忍んでラブホテルにも連絡をいれた。


結果は散々だった。


最初から電話が通じない、営業休止中、満室……。


電話の最後にはかならず「頑張ってください。」と告げた。


ホテルへ向けたメッセージのつもりだったけど、自分にも響いた。



余談だが、札幌駅のトイレはこの時点で使用可能になっていた。駅の電源が回復したからである。


しかし男性用大便器と女性トイレには大行列ができていたのだ。理由は簡単、トイレのコンセントを利用した携帯機器の充電である。


気持ちはわかるけれど、充電より排便が優先されるべきであると思う。



「これからどうしよう」


そんな思いで駅の張り紙を見つめる。目に留まる「避難所情報」。


避難所に行くしかない。そう思って某中学校の体育館を目指す。


まさか旅行をしていて避難所に行くことになるだろうか。


自分でも信じられなかったけれど、背に腹は代えられない。


食料と情報は避難所に集中するだろう、そういう見立てもあった。



行ってみると、そこは停電&断水の被害を受けていた。


通電していた場所もあっただろうになんでそんな場所避難所にしたのだろう、と今では思うが、当時はその状況に対して文句など言えるはずもない。


後日談ではあるが、その避難所(ある中学校の体育館)は避難所としての最低限の設備すらそろっていなかったらしい……。


でも寝る場所があるだけでもかなりかなりありがたかった。


毛布とクラッカーを受け取り中に入る。すでに手狭。


そこからはとにかく生きることに努めた。


通電地域の自動販売機まで水を買い、非常用食料を食べ、


「暗すぎて眠れない。」という彼女とともに何度か札幌駅へ散歩し……。


毛布一枚、体育館の硬い床。


浅い眠りではあったけれどなんとか就寝できた。


状況が好転することを信じて。



2018年9月7日(金)

北海道三日目、帰る予定の日。


本来なら小樽にいる予定だったが、現実はお風呂にも入れていない状態。


真っ暗なトイレ、アルコールティッシュで全身を拭いたあのむなしさ。


今現在予約している7日夜新千歳発成田行(バニラエア)の飛行機が果たして運航するか。それが重要だった。


情報収集を進めるにつれ、新千歳空港国内線ターミナルの復旧を知る。


復旧作業に従事してくださった方々に感謝しつつ、再開を喜んだ。


問題は空港までの交通手段である。


札幌市内から新千歳空港に向かう手段は二つ、JRとバス。


道内の信号があまり復活していなかった7日の時点ではバスの運行は絶望的。JRも無理だろう……と思っていたが、思わぬ知らせが。


「地下鉄は昼から動くらしい」


地下鉄が動くということは札幌新千歳間の約半分を移動できるということ。


終点「新さっぽろ」からタクシーを拾えば空港までなんとかたどり着ける!



しかしお昼までは時間がある。


結局この日も歩くことにした。


ジンギスカンがなんとか食べられないだろうか……と「サッポロビール園」に行くも、もぬけの殻。



「市場ならなんか食べられるかも!」と淡い期待を胸に、引き返して二条市場へ。


この判断は完ぺきだった。


海鮮丼屋さんの扉に、昼12時頃から営業との張り紙が出ていたのだ!!



時は11時。営業開始までしばらく時間はあるが、もうすでに何組かならんでいた。


時間がもったいないとも一瞬思ったが、あきらめなくてよかった。


海鮮丼屋さんの開店を待つ1時間、いい情報が。


「午後1時過ぎからJRが札幌⇔新千歳空港間のみで運転再開……!」


さらに、復旧後の新千歳空港を最初に離陸したのが利用予定の「バニラエア」の航空機であることも知った。


そんな折、長蛇の列を見かねた海鮮丼屋さんが早めの開店に踏み切ってくださった。


ご覧あれ、震災の翌日に食べたとは思えない贅沢な「丼」を。



見つけてよかった、待ってよかった。


たしかに震災翌日に食べるには少し高級だったが、現金をたくさん持っていたのでセーフ。停電のせいで電子決済はできなかったしそもそもごはんにありつけるだけで幸せ。


「大磯」さんありがとうございました!


店内では久しぶりにテレビを見ることもでき、現在の状況のほぼすべてを把握。


Twitterはだいぶ役立ったけれど、テレビはより一気に情報をかき集めるのには適している。


電気と食事のありがたみを知った。


食べ終えたらやることは一つ。札幌駅で電車が動くのを待つだけ。



お得意の♰券売機操作♰で座席指定券を入手。


一度帰れるとわかってからはかなりスムーズに動けたように思う。



札幌駅から動き出した快速エアポートは少々遅れて新千歳空港に到着。


空港は人であふれかえっていた。


余裕をもって帰りの飛行機を待つ人、キャンセル待ちの人が文字通りたむろしていた。


搭乗手続きや保安検査にも大勢の人が並ぶ。自動チェックイン機が停電で故障し、人のいるカウンターのみが稼働していたからだ。



僕らが乗る予定の飛行機は少し遅れてやってきた。関空が潰れ、新千歳が昼頃まで潰れていたわけだから、機材繰りがうまくいかないのも当然のことだと思う。


帰りの成田発水戸行のバスに間に合わないことが確定したけれど、ここまで自分たちがなんとか帰ろうと頑張ってきたことや航空会社がなんとか運航しようとしてくださっていることを考えたらもううれしさしかなかった。






スカイライナーと特急ときわと金曜日限定運行の終バス、到着した彼女の家。


国内在来線最速160km/hを誇るスーパー列車・スカイライナー。

JR常磐線特急「ときわ」。高校から付き合い始めた彼女は大学進学を機に水戸で生活している。

帰る道中、灯る明かりと営業しているコンビニ、そして信号機にものすごく違和感を抱く。


「なんでもないようなことが幸せなんだと思う」というのはよく言ったもので、当たり前のものが当たり前にあることってどんだけ素晴らしいことなんだろうって思った。




旅行中の被災にはかなりの不安が付きまといます。それには

  • 土地勘がない

  • 帰る家が近くにない

  • 「帰りさえすれば大丈夫」という謎の安心感が同居すると精神がかなり疲弊する。

  • 携帯端末の充電が難しい

  • どこに連絡してよいかわからない(不安をぶつけられない)

  • 大事な人(家族・友人・先生等)が自分の居場所を把握していないと困る

などなどの理由が挙げられるでしょう。


旅慣れしている自分でもここまでの災害は初めてのことで正直戸惑い、弱い部分・ダメな部分が出てしまいました。以下、反省です。


自分の反省すべき点

  • 震災当日のホテルの営業状況を確認すべきだった

  • あてもなく歩いてしまった(荷物が重い中歩くことは体力を奪うことになり、危険)

  • 女性を連れていたのに、停電及び断水中の避難所を選んでしまった(シャワーが浴びられない、トイレが使いにくい、犯罪の危険……など)。

  • 思考がかなり不安定になっていた(ネガティブとポジティブの同居)

  • クサイ文章を書いた


良かった点

  • ケンカしなかった(普段からあんまりしない)

  • 現金をそこそこ持っていた

  • 正直運がよかった(ほぼ予定通り帰ることができた、飲食を滞りなくできた)

  • 各種交通機関が頭に入っていた(「あれが動けばここまでいける」など)

  • スマホの電源を帰宅時まで確保できた(震災発生以降一度も充電せずに最後まで乗り切った、心配してくれた方への返信及び情報収集もかろうじてできた)


先述の通り、今回は読者の皆様に旅行先での被災について考えていただく意図をもって執筆しました。だいぶ読みにくくクサい文章だったかと思います。すみません。


今回の地震では揺れそのものよりも停電の影響がかなり大きかったように感じました。北電の方のご尽力により、現在(2018年9月11日時点)ではほぼすべての地域で停電が解消したとか。本当に良かった。。。

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